2025年6月1日
髙島 一成 (常德寺住職)
第171話 ことばの力
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
親鸞聖人が9歳のときに詠まれた歌です。私がこの歌に出会ったのは、大学卒業後、同朋大学別科に入学し学ばせていただいた23歳の時でした。正直なところ、寺の跡継ぎとして生まれ、自身の夢を犠牲にした生き方しか選択肢がないと思い込み、やさぐれた毎日を送っている時期だったと思います。
ある日の別科での授業(すみません。何先生の何の授業だったか覚えていません。。。)で、前述の親鸞聖人の歌について教えていただきました。衝撃でした。わずか9歳の子どもが詠んだ歌です。「やべぇ、俺なにやっとるんや」。焦燥感でいっぱいになったのを覚えています。それからの私は劇的に変わりました。と言いたいところですが、実はそうでもありませんでした(笑)。しかし、物事のとらえ方、出来事に対する受け止め方については、この歌との出会いにより明らかに変わったと感じています。逃げ続けていた“寺の跡取り”についても、向き合いだしたのはこの歌と出会ったことが大きなきっかけとなっています。
私が住職に就任し8年目を迎えました。この間、多くの葬儀や年忌法要をお勤めさせていただきました。法事をお勤めする意味は「縁のある方の死に出会い、無常の世の中であることを受け止め、自身の今後の人生をどう歩んでいくのか」を考える場、あるいは考えるきっかけとなる場であると私は思います。つまり、法要などのご仏事は、故人の供養のために開かれているのではなく、今生きている私たちのために開かれている場であるということになります。
親鸞聖人の歌との出会いが人生のターニングポイントとなったように、“歌”や“ことば”には、日常の暮らしの中では気づかないことに気付いたり、人生を振り返りこれからの生き方を考えるきっかけを与えてくれたりと、大きな力があると思います。
世の中には、たくさんの“歌”や“ことば”があります。きっと、ご自身に響くフレーズに出会えるはずですので、多くの人と関わり、ことばを交わし、人間らしく、ご自身の人生をしっかりと歩んでいただきたいと願います。
最後に、最近の(ちょっと古いかも)私の好きな歌を紹介させていただきます。
「花びらのように散っていくこと この世界で全て受け入れてゆこう
君が僕に残したモノ “今”という現実の宝物 だから僕は
精一杯生きて花になろう」
ORANGE RANGE 花(2004年10月20日発売)