飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2021年9月1日

三島多聞 (高山別院輪番)

第35話 終戦

「終戦」の言葉を名詞扱いにしていて、「今年、終戦76年」という経過時間だけで、そこから何の動きも感じられません。

第二次大戦について語り手が少なくなり、あの悲惨な戦争の現実が忘れられていく。加えてゲームで常に戦争を遊びにしている。あのあおり運転、まるでゲーム感覚です。こうなってきたもとは「終戦」の読み方にある気がする。

「名詞」でなく「動詞」で読む。「終」を「終わらせる」と読む。すると、単語だけのものが文章になり語りかける願い言葉になる。

「今年、戦争を終わらせ続けて76年」となります。

日本は戦いを三百年近くしてこなかった経験を持っている。鎖国であろうと何であろうと無戦国日本は世界の見本です。これを過去の歴史としてのみあつかってはならないと思う。今年、戦争を終わらせ続けて76年目、「憲法9条」を前面に世界に訴えていく、そういう国民になってこそ、先の戦争の犠牲者への懺悔ともなる。

世界の処々で戦争や紛争の止むことがありません。その中にあって、日本は唯一の被爆国であり、人間の悲惨な末路を経験したことを、昨日のごとくに発信してこそ、「戦争を終わらせ続けて76年」と胸を張ることができる。核保持は最も非道で残酷な国となりうる何よりの証拠。だから核保持を終わらせ続ける今年は、「76年目」でなければならない。

『無量寿経』で釈尊は「兵戈無用」と教えられた。軍隊と武器を使わない世界を説き、また「殺すことなかれ、殺さしむることなかれ」と説かれた。銃を持っての民主主義ではなく、銃を持たない民主主義を発信すべき。

戦争に「聖戦」とか、「正義」はないのです。戦争を始める時は正義の旗を立てる。だから戦争を簡単に止められないのです。仏教は戦争を正当化する思想を持ち合わせてはいない。

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