2022年12月2日
白尾 匡 (長圓寺住職)
第99話 秋を感じて思った事
山々の木々も赤や黄色、オレンジと深い緑の葉が様々な色に色付いてきました。そんな中、私は毎年悩まされるのです。木の葉が茶色になると、落ちてくる枯れ葉をどうやって掃除するか、にらめっこしながら思案しています。もっと簡単に落ち葉を集める方法はないものだろうかと。そして最後には竹箒を持って、ハア~とため息つきながら掃除するのです。
でも、今年はひと味違った思いで竹箒を持っています。テレビで教えてもらいました。これは、寒い冬に向けて春から秋にかけ広葉樹は幹に栄養を蓄える。葉が色づくのは葉の栄養をも幹へ取られた姿があのように鮮明に赤や黄色に変化させ、栄養を吸い取られた結果が落ち葉となるそうです。なんとも儚く、いじらしい姿ではないですか?幹のため、次の世代のために最後の最後まで過ごし、ひらひらと落ちていくさまがそう感じられます。私もそうあれたらと感じました。
そんな秋が深まる少し前に感じた事があります。4人の方とつい先日お別れしました。ある方は自宅で事故。ある方は交通事故。またある方は病院で家族に看取られて。最後は自宅で家族に看取られての死。それぞれ死に方も様々でして。同じ『死』ではあるものの印象が変わります。これはなぜでしょう。私自身が自分の死に方までもこう在りたいやこうでなくてはと思っていたのです。自分の人生が思い通りになるものだと錯覚していたのですね。そう感じていた自分が非常に恥ずかしく思いました。落ち葉を見て煩わしく感じていた私も情報ひとつで感じ方を変える私も、そして人の死に方までも自分の思い通りにしたいと思っている私も。なんて思いあがった存在である事だと。でも、ふと、気付くのです。そんな気持ちになった私の側には暖かく見守って下さる阿弥陀様がおられる事を実感します。そして手を合わせ、お念仏を申す事しかできない私が今日も木々とにらめっこして境内に立っています。
合 掌