飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2022年11月18日

畑 亮徳 (願德寺住職)

第96話 意のままにならない

 みなさんの中には何か行う時、事前に順序立てて予定を組み、それをきっちりと実行していくという方も多いと思います。

 ただ、予定しっかりと立てていても何かのトラブルなどで思い通りにならないこともあり、世の中は上手くいかないと思わされる事も多くあります。遠出をする際に、余裕を持って家を出たのに、途中渋滞などで足止めされた時などは、仕方がないとわかりつつもいらついたりと、何とも自分は余裕が無いものかと思わされます。

 私達は生きていると、楽しいことも多いですが苦しく辛い事も多くあります。渋滞で足止めされた事などであれば、まだすぐに忘れられるでしょうが、世の中には生きること自体につらさを感じる人も多くいます。そのような方に「大丈夫だよ、きっと良いことがあるよ」と語りかけてもなかなかつらさは緩和されません。むしろ、「世の中はそんな簡単にはいかないのだ」と語りかける事の方が楽になれる時もあります。

 この「世の中はそんな簡単にはいかない」という事を仏教では「無常」と言います。無常というと、平家物語の一文にもあるように、物事が朽ち果てる様を表す言葉と理解される事も多いですが、無常の表す核心的な意味は「この世は意のままにならない」という事です。

 2500年前にお釈迦様はこのような苦しみがあるという事、そしてそれにどのように向き合うべきかを教えてくれました。

 仏教の言葉とは、この「意のままにならない」人生を生きていく中での道筋を私達にお示し下さったのだと思います。

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