飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2022年11月11日

三木朋哉 (淨福寺住職)

第95話 時メキ

 気づけば今年も残すところ3ヶ月、年々時が過ぎるのを早く感じます。以前、NHKの「チコちゃんに叱られる!」という番組で、「大人になるとあっという間に1年過ぎるのは、人生のトキメキがなくなったから」と言われていたのを思い出します。番組では食事を例に、子どもは「今日はハンバーグだ!」「ハンバーグってどう作るんだろう?」など、驚きや発見、疑問といった心の動き、つまり「トキメキ」があるため時間が長く感じられる、と解説されます。一方、大人はただ食べるという「作業」になってしまい、毎日同じことを繰り返すうちに「トキメキ」を失い、時が過ぎるのが早く感じられるのだそうです。同じ1日24時間、1年365日でも、その長短の感じ方に私たちの心が深く関係していることがわかります。

 仏教には時に関する言葉が多くあります。たとえば「刹那(せつな)」とは、指をはじいた時の65分の1という、きわめて短い時間を表します。また、「億劫(おっこう)」は気の遠くなるほど長い時間のことです。「劫」とは、2,000km四方の大きな岩を、100年に1度天女が羽衣でそっとなでる、そのかすかな摩擦によって岩がなくなるまでにかかる時を言います。

 これらの言葉は、単なる時間の単位や概念を表すわけではありません。私たちに大切なことを伝え導く教えの言葉として表現されているのです。「刹那」は、私たちが過ごしている時が、「今」と言った瞬間に今ではなくなってしまう、かけがえのない時だと気付かせる教言(きょうごん)です。「億劫」の語からは、不安や苦悩を抱え、とてつもなく長く感じるその時間は、苦悩と向き合い、それを取り除くのではなく、苦悩のただ中にあっても歩んでいける道と出遇(であ)うための時間であると教えられているのです。

 このような教えの言葉として受けとめた時、楽しさや喜びだけでなく、不安や苦悩もまた人生の大切な「トキメキ」であったとうなずくことができるのでしょう。

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