2022年9月16日
堤 唯見 (淨願寺住職)
第88話 礼に始まり礼に終わる
お盆に、久し振りに孫がやってきた。子育てに必死だった若い頃とは違って、私自身は責任感も希薄になり、少し距離をもって、可愛い子供たちを見ていた。子供は二人とも自己主張なり、承認欲求を繰り返していた。特に、上の子は所謂「赤ちゃん返り」の時期に当たっているようで、親たちも大変なようだった。まさに、生まれながらに人間が一生かかえる業を間近で見る思いだった。
仏法は「力に頼らない」生き方を教える。自分の持つ思い(欲求)が強ければ強いほど、未実現のギャップに苦しむ。あるものの有難さに気付かず、無いものを欲しがって悲しむ、と教える。しかし、我々は、現実には「力」を頼みにして暮らしている。それどころか「力」を磨くこと、そして競争に勝ち抜くことに注力している。学力、運動能力、表現力、経済力・・・学校でも社会でも「力」を磨くことに一生懸命だ。
競争することは必ずしも「悪」ではない。個人も社会も、競争による切磋琢磨で成長し、新しい技術やサービスも産み出していく。それにより、より豊かで便利な世の中になってきていることも事実であろう。
しかし、競争と同時に「共生」の重要性に触れる機会が十分ではないのが残念だ。人間は一人で生きているのではなく、沢山の縁をいただき、様々な関係性の中で、共に生きる・生かされているのに、その大切さを教え、伝える機会が少ないように思う。
そういう機会を与えてくれるもののひとつがスポーツ競技だ。競い合う相手と時間や場の共有ができるからこそ、心身が鍛えられる。その感謝の思いを体現するのが「礼」だ。海外のことはよく知らないが、日本のスポーツ競技の良いところは、甲子園をはじめ「礼に始まり礼に終わる」の原則があることだ。自分と等しく相手をリスペクトしますという宣言・挨拶は、「競争と共生」の一つの象徴だともいえる。勝ち負け以外にも大切な世界があることを、様々な生活シーンで、もっと意識的に増やしていきたいものだと願っている。