2022年9月2日
四衢 亮 (不遠寺住職)
第86話 「問い」を共にして通じ合う
マリ共和国をご存知ですか。西アフリカに位置し、国土の一部にはサハラ砂漠がかかっています。そのマリ共和国の子ども達と日本の子ども達が、2004年に当時の国連事務総長コフィ・アナンさんにアピールの手紙を送りました。
「私達は、過去百年に、悲しい戦争や恐ろしい飢餓が何回もあったことを習いました。一方同じ百年に人間はたくさんの発見や発明をし、人類の進歩に貢献したことも習いました。しかし、この発見や発明の中でまだ出来ないものがあります。急いでしなければならないものがあります。その一つは、戦争をしたくなくなる薬の発見です。もう一つは、世界中の食糧が必要な人々に、何時でも平等に食糧を配れる機械の発明です。この発見や発明がどうしたら出来るか、私達は、少しずつわかって来ました。それは、私達が家でも、学校でも、世界のどこにいても、全ての人々を等しく大切に思い、全ての命が等しく尊いものと思うことを通して出来ることがわかってきました。まだ会ったことがない世界中の子ども達や、これから生まれてくる小さいともだちともと力を合わせ、私達は活動を続けます。(後略)」
これを読まれてどう思いますか。私は送っていいただいたお寺の新聞でこれを読み、驚きました。「全ての人々を等しく大切に思い、全ての命を等しく尊いものと思う」歴史を貫く深い願いが、子ども達の言葉となって、私を問うていると感じたからです。
「戦争をしたくなくなる薬」と「何時でも平等に食糧を配れる機械の発明」をあなたは大事な問題にしていますか、と。
宗教というのは、間違いのない答えを身につけて、正しくなって、他人を裁くことではありません。また不安を煽って教えに隷属させ人を操るものでもありません。宗教とは、私の足元から私を問う、その問いかけを聞き続けることです。この問いかけこそが、全ての人と共有でき通じ合えるものだと思います。