2022年5月20日
四衢 亮 (不遠寺住職)
第71話 響流十方
別院やお寺の梵鐘には「正覚大音 響流十方」と銘文が刻まれています。これは、阿弥陀仏の本願の教えが説かれる『仏説無量寿経』に、「正覚大音 響流十方」―仏さまの覚りの教えは十方に響き流れるとうたわれるからです。
ただそれは、その教えを説く声が大音量で、どこでも聞こえるということではありません。それだとどうしてもだんだん距離が遠くなれば声が小さくなり、聞き取りにくくなることも起こります。それに仏さまが世界の真ん中で大きな声で叫んでいるというのもおかしなことです。
詩人の谷川俊太郎さんの「みみをすます」という詩に、「ひとつのおとに ひとつのこえに みみをすますことが もうひとつのおとに もうひとつのこえに みみをふさぐことに ならないように」という一節があります。
力まかせに他をねじ伏せようとする太い声や強い立場の大きい声や世の大勢に同調する声ではなく、その声にかき消されそうになる小さな声や、大きな力の前に身を縮めて耐えている声に耳をすまし、その声に応えて届くのが、十方に響いて流れるということです。
戦火の中で銃弾に向き合う人にも、大きな壁に遮られて外から見通せないところにいる人にも、社会や周りの人から取り残されて孤独だと感じている人にも、病を得て不安で心細い思いにとらわれている人にも届くので十方に響くと言われるのです。
それは、どの人もかけがえのない尊い存在だと目覚めたのが仏さまの覚りだからです。だからその教えがどこにいる人にも届き、みんなを励まします。私などは見捨てられたものだと自分で自分をあきらめていた人にその励ましが届いたので、この私にも確かに聞こえました、と「響流十方」と讃えるのです。
その教えを聞いた私たちは今、手を取り合って支え合うウクライナの人々や軍事的圧政に声を潜めるロシアや、ミャンマーや、アフガニスタンの人々に、確かに聞こえていますと支援を送る責任があります。