飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2022年4月1日

佐藤 義晃 (了徳寺住職)

第64話 いろんな顔を持つ自分

雪道の運転は気を遣います。運転の仕方も癖も、慎重さも人それぞれです。時々自分よりもゆっくりな車の後ろにつくと、「あ~あ」と思います。自分の思い通りに走れないからです。皆さんはそんな経験ありませんか。

自分は追いついてくる車は自分より速く走りたいのだろうし、きっと慣れている人なのだろうと思い、最近はできる限り道を譲り、先に行ってもらうようにすることが多いです。しかし、時々やたらゆっくりなのに道を譲らずに走ってみえる車に出会います。そういう時がっかりします。自分なら譲るのになあと思うからでしょうか。

先日そんな場面がありました。その時ふと次のようなことを思ったのです。

自分は後ろにつかれるのも嫌だし、あとから追いついてきた人に「なんよぉ」と思われるのも嫌なので、譲る方法を探るけれど、そう思わない人もいるはずだ。そう思わない人に確かめもしないで、勝手に自分の考えで決めつけてしまって、相手のことを判断してしまっているのではないか。相手に自分の考えだけを押し付けて、相手を嫌な人だと決めてしまっているのではないかと。

考え方や感じ方は人それぞれ。自分だけが正しいと思って行動している自分がいるのではないかと思うとなんだか恥ずかしくなりました。虚しさや苛立ちなどを勝手に作り、敵を仕立て上げ、いいとか悪いとかを自分の物差しだけで判断している自分がそこにいました。

本願寺中興の祖、蓮如上人は「われわろきとおもうもの、ひとりとしても、あるべからず」と述べられています。ちょっと立ち止まって、自分を見つめてみると、いろんな顔をもった自分が見えてきそうです。己を知るということはなかなか難しいものですが、いろんな顔をもつ自分は唯一無二の存在です。そんな自分とうまく付き合っていきたいと思います。

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