2022年3月18日
四衢 亮 (不遠寺住職)
第63話 教えられたこと
詩人で書道家であった相田みつをさんに「点数」という詩があります。「にんげんはねえ 人から点数を つけられるために この世に生まれて きたのではないんだよ にんげんがさき 点数は後」。この詩をはじめて目にしたのは、35年ちかく前になります。子ども達とお寺の「こども会」をはじめたところでした。
お寺の子ども会ですから『正信偈』を一緒によめるように練習することから始めました。もちろん初めからなめらかに声を合わせることはできません。それで、教える自分のまずさを棚にあげて「今の帰命無量は、60点くらいかな」と思わず言ってしまったのです。すると前の方にいた三人の子どもが「お寺でも、点数か!」と叫んだのです。本当にドキッとしました。
子どもたちは、学校ではいろんな面で点数が付けられます。もちろんそれは、教科の理解度や習熟度を測るために必要なことですが、家でも塾でも「点数・点数」と言われ、自分の存在全部が点数付けされると感じていたのでしょう。そしてお寺くらいは「点数」は関係ないと思っていたら、私が「60点」と言ったので、思わず叫んだのです。それは、私を、僕を、そのまま丸ごとを見ずに、全部点数で見て、比べたり評価するなという「いのち」の叫びであったのだと、相田さんの詩に出会って気づきました。
点数で比べられ評価されるのは、子ども達だけではありません。学歴や仕事の業績や経済的成果などで、その人を見ています。それは自分なりに他人に点数を付けているのでしょう。自分もいろんな形で点数を付けられ、比べられたり、除かれたりして、今まで悲しい思いや悔しい思いをたくさんしてきたのに、それがやめられません。
それは世の中では必要なことだと言うこともできます。でも「点数」ということを介してでしか人を見ることができず、出会うことができないとしたら、とてもさみしいことだと思います。その問題を子ども達に教えられたのです。