2022年2月11日
三島 多聞 (高山別院輪番)
第57話 明けましておめでとうございます
「今年もよろしくお願いします。」新年に「明けまして」の言葉は日本だけです。これは日本は仏教の国であることを証明している言葉です。仏教用語で「明ける」は、迷いから醒めた意味で、その反対は「無明」、迷いの闇の中です。この教義を受けて、夜の闇は日が出るのを待って朝がくるので、「夜が明けた」となります。「日」が昇らないと夜が明けません。夜自身では明けません。光り(明)が射さないと。元旦に初日の出を拝みに山に登る方々がいます。元旦朝四時ころ起床し初日が拝める場所に向かいます。すでに元旦ですが、暗闇のうちは新年の挨拶はしません。初日が昇ったところで、日を拝み、そのあと互いに「明けましておめでとう」といい合います。すべて日が昇ってからです。
葬儀を終えて迎える法事を「忌明の法要」といいます。ここでも「日」が昇らなければ忌は明けません。阿弥陀さまのことを「慧日」と表現します。慧日が我が口より声に「南無阿弥陀仏」と昇って、初めて忌が明け、喪が明けるのです。
昔、年季奉公ということがありました。例えば三年の年季(働く約束の期間)を無事つとめあげて独立させてもらうことを「年季奉公が明けた」といいました。このように新年の「明けまして」は、昨年のあなた様のご苦労が「元旦」を迎えてむくわれましたね、という意味です。新年の互いの「明けまして」の挨拶は、昨年の互いの苦労を認め讃え合う言葉なのです。
「無明」の迷いから目醒めた「明」の世界を、夜が明けた、忌が明けた、年季奉公が明けた、昨年の苦労が「元旦」と共に明けたという表現になっていったわけです。こうみてきますと、仏教以外の宗教の方々でも、新年を迎えるときは、「明けまして」と挨拶します。年の初めは、日本人は全員仏教徒ということになります。