2022年1月21日
四衢 亮 (不遠寺住職)
第54話 「今、ここ」を取り戻す
「発車駅の東京駅も知らず、横浜駅も覚えがない。丹那トンネルを過ぎた頃に薄目をあき、静岡辺でとつぜん“乗っていること”に気づく、そして名古屋の五分間停車ぐらいからガラス越しの社会へきょろきょろし初め『この列車はどこへ行くのか』と慌て出す。もしそういうお客さんが一人居たとしたら、辺りの乗客は吹き出すに極っている。無知を憐れむにちがいない。ところが人生列車は、全部の乗客がそれなのだ」。これは、国民的作家と言われた吉川英治さんの自叙伝『忘れ残りの記』の文章です。吉川さんの時代ですからレトロな感じがしますが、新幹線の走る現在も、私たちの人生列車は変わらないようです。
中学生が学習塾へ行くのは、より良い老後のためだと話したといいます。しっかり勉強して、いい高校、いい大学に入れば、いい就職ができて年金もしっかりもらえて安心だからと周りから言われ、勉強するのは老後の安心のためだと思ったようです。また高齢者の集まりでは、年金は老後のために貯金すると言われる方もおられます。映画では「老後の資金がありません」が上映されています。老いも若きも、老後の安心のために準備に余念がありません。そうしてあれも要るこれも要ると蓄積したのに、自分の後の人のために断捨離しなければと言われ、葬儀の準備をし、お墓の心配をし、自分の後のことまで準備をし続けます。
現代において、それは必要に迫られてのことかもしれません。ただ、一生懸命走り続け準備を積んで、ふと気がついたら、何をしたいのか、どうすれば本当に満足できるのかはっきりしないまま、5年後、10年後、20年後のまだ来ない自分を追いかけていた。今ここを生きている私を確かめることなく、前のめりに足が宙に浮いて終わるのは残念です。
今を失っていたと気づいて「今ここ」を取り戻すことから、私と人生を見直すことが始まるのではないでしょうか。