飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2022年1月14日

三島 多聞 (高山別院輪番)

第53話 ご坊さまの除夜の鐘

今年も早暮れの12月。年明けて私は何歳になるのでしょう。あっという間の1年は過ぎようとしている。なぜこんなに時間が経つのが早いのか。自分のために使う時間が少ないからだと考える。やれ仕事、やれお付き合い、やれ町内のこと、自分の時間が他の事にまわされるので、1年が早く短く感ずる。早1週間、早1か月が過ぎたのかと思う。そして大晦日の除夜の鐘を聞くことになる。あの鐘の音をどう聞くか。百八の煩悩を除くというが、私はそんなに多くの煩悩を持っていない。あるのはたった3つだけ。それは「怒り心とむさぼり心と、愚痴」だけ。しかしこの3つの煩悩は「三毒」といわれ、百八つの煩悩を生み出す母体だ。鐘をついたくらいで消えるわけはない。

梵鐘には文字が彫ってあります。「正覚大音響流十方」とある。訳せば「今、あなたのついた鐘の音は南無阿弥陀仏のひびきです。あなたは大音を打ち出しましたが、ひびきの心がわかりましたか」と呼び掛けているのです。あるご婦人が言ったことを思い出す。彼女は「ご恩」と聞いたと。

念仏のひびきを聞いた方を1人紹介しましょう。九州の24歳、英語の教諭、がんとなった。彼女の残した言葉です。

「死んでいく身を生きているのではない。今、仏になるいのちを生きているのです」。

この言葉に心を寄せるたびに思い出すことがあります。膵臓がんにかかっている老紳士が「あと3年生きていたい」と医療ドキュメンタリー映画でいっていた。あと3年経ったらまた同じことを言うに違いない。行きづまるとはこういうことかと考えさせられる。女性教諭と老紳士の2人の言葉は、昨年鐘をついた時に、私にひびき問うてきた。今年は、どんな念仏の人の言葉を聞こうか。

最後に注意を1つ。鐘をついたら合掌してひびきを聞くこと。

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