飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2021年12月17日

澤邊 恵亮 (誓願寺住職)

第50話 1人2人

「トンボが2人くっついて飛んどったよ」

ある日、公園で遊んでいた息子の言葉である。この言葉を聞き、兄が「トンボはね、1匹、2匹って数えるんやよ」と教えてあげていた。しかしそれ以降も、虫好きの弟は虫を見つけては、「○○が1人おった」「〇〇を3人捕まえた」と嬉しそうに話を聞かせてくれた。

また別の日、夜寝る前に「おしっこ」という息子についてトイレに向かっていた時の事。視界の隅に黒い物体が動くのがチラっと見えた。「ゴキブリだ!」と、反射的にたまたま近くにあったほうきを手に取りたたこうとした私に「たたいてダメ!死んでまう!」と叫ぶ息子。その言葉にたたこうとした手が止まり、ほうきで外に掃き出したゴキブリがカサコソと動くのを見て「よかった。生きてるね」とホッとしたようにつぶやいた。

「ボクから見るとゴキブリは害虫 ゴキブリから見るとボクは怪獣」という言葉が思い出された。私はゴキブリをたたいて殺してしまってもいい害虫として見ており、その姿は怪獣だったのだ。また、息子はそこに生きているいのちをみて殺しちゃダメだと叫んで止めたのだ。自分が大好きな虫を「1人、2人」と数える表現も、もしかしたら人と同じいのちを感じている心が現れ出た表現なのかもしれないなと感じたことである。

私たちは、言葉を通して様々なもの理解し、表現している。しかし、その言葉によって無意識のうちに区別やランク付け、時には差別や排除ということをおこなってしまうことがあるのではないか。

阿弥陀様は正信偈には「無量寿如来」と現される。量り無き寿(いのち)の仏様。私たちは自分の都合によっていのちを量ってしまう。長短、善悪、優劣、軽重…。そしてそのことによって、悩み苦しむこともある。そんな私に、はかることのできない「いのち」をその名を通して教えてくれている阿弥陀様。

息子の「1人、2人」という言葉も成長とともに「1匹、2匹」と変わっていくことであるが「1人、2人」と表現していた心は息子も私も忘れることなく持ち続けていきたい。

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