飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2021年10月1日

三島 多聞 (高山別院輪番)

第40話 生前中は

昨年は母が亡くなり、多くの方々の弔問を受けました。

挨拶を受けながら、「生前中はいろいろお世話になりまして、ありがとうございました。」と応答しました。

多くの方々もそうでしょう。ではこの言葉の意味は何でしょうか。

生前中とは何を言っているのでしょうか。「生まれる前の中(あいだ)、お世話になりまして」とは何か。

「亡き人がこの世に生まれる前にお世話になった」では大変なことになります。では、どこに生まれる前なのか。

考えてもわからないでしょう。でも、どなた様も「往生浄土」の言葉はご存知でしょう。

この言葉に「生前中」の意味を解く鍵があります。

 正解は、「亡き人は、このたびみ仏の浄土に往き生まれました。

それにつけても、み仏の国に生まれる前のこの世では、いろいろお世話になり、ありがとうございました。」です。

そうしますと「生前中」の意味が了解されるでしょう。「往生浄土」の教えが「生前中は」という挨拶になっているのです。

そう信じたくなければ「存命中は…」と挨拶すればいい。でも変ですね。

仏式で葬儀を出しているのですから。こうなると葬儀をどのように考えているのか。

自問してみる必要があります。でないと、葬儀は社会通念上の単なる通過儀礼になり、

テレビで宣伝しているように、「まかせてよかったな」で終わります。真宗での葬送の儀は、阿弥陀様が中心です。

いつの間にか遺体中心となり、最近では参る方が中心となった。

それ冷房だの暖房だの椅子席だのと。でもコロナ感染で一変。会場入口で焼香して終わりとなった。

中心になるものがはっきりしないと、大切な人の死を出来事として片づけ処理してしまうことになり、

家の若い者に人間処理の見本を見せているようなことになります。

人の死を片付仕事にするのは、生きていることを片付仕事にしていることにならないでしょうか。

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