2021年9月27日
江馬 雅臣 (賢誓寺副住職)
第39話 私を照らすひかり
「のぞみはありませんが ひかりはあります 新幹線の駅員さん」
(千葉・本妙寺の掲示板の言葉(江田智昭さん著『お寺の掲示板』所収))
朝日新聞「折々のことば」で鷲田清一さん(2020年9月13日)がこの言葉を紹介している。
この言葉は、臨床心理家・(故)河合隼雄さんが残した逸話から引かれた文言である。
学会で東京へ出張していた河合さんは、患者さんから自殺をほのめかすような切羽詰まった電話を受け、
自分が駆け付けたからといって何ができるのかと思いながらも、新幹線の切符売り場に走った。
そこで駅員さんに、「のぞみはもうありません」といわれて絶句し、その後に「ひかりはあります」と聞き、
なんと素晴らしい言葉だと感激されたそうです。
駅員さんは、「本日のぞみ号は終わりました。ひかり号ならまだあります」と事実を述べただけなのですが、
河合さんはその言葉に深い意味を見出されたというのです。
鷲田さんは、河合さんの逸話を紹介し最後に「希望をなくしても仏様の光はずっと人を照らしている。」
と折々のことばを結んでいます。
仏教では、仏さまの智慧や、慈悲のはたらきを「ひかり」として表現します。
「私が希望(のぞみ)を失ったとしても、仏さまはいつも私を照らしています」と教えています。
私は、幼い頃からいつも夢や希望を持って生きています。しかし、現実は自分の思い通りにならないことが多く、
不平を言い常に不安を感じながら生活しています。
仏さまは、そんな私を悲しんで「たとえ世間から見離され、ひとりぼっちになったとしても、
いつもあなたの存在を見守っています。だから一度きりの人生という旅を大切に生きてほしい」と応援して下さっているのです。
夕日にあたれば「私の影」が出来ます。
太陽の光が私自身を照らし「影」となってそのままの姿を写し出してくれます。
そのことと同じで、仏さまの「ひかり」とは、私の存在そのままを受け止め
「あなたはあなたのままでいいよ」と照らしてくださいます。
あらためて日常で、私を励まし・支え・照らしてくれる「ひかり」の存在があることを
思い起こさせてもらいます。