2021年9月13日
佐藤 義晃 (了德寺住職)
第37話 伝えるということ
オリンピックが始まりました。さまざまな意見がある中開催されたオリンピックですが、
皆さんはどのように感じてみえますか。
人はいろいろなことを考える生き物です。思ったことを心のうちにとどめるのも、
外に出して表現するのも自由といえば自由なのかもしれません。
しかし、オリンピック開催のことも、選手に対することも、言いたいことを勝手に言い放ったり、
相手のことを考えず発言したりしていることがあまりにも多いなあと感じているのは私だけでしょうか。
SNSと呼ばれるさまざまなサービスでも議論が深まっていくものも多くありますが、
言い合い、けなし合いになっているのも多く見かけます。
交流したり、考えを深め合ったりすることが本来の目的だと思うのですが、
そうなっていないものも多いのはどうしてでしょうか。
わたしはソーシャルの意味を今一度考えてみることが必要なのではないかと感じています。
発信するということは必ず相手がいるということを意識しないといけないと思います。
そして、相手に敬意をもって接しないといけないでしょう。
目の前に相手がいるときもそうでないときも同じだと思います。
目の前にいないから言いたいことが言えるというちょっとした心の隙間からトラブルが生まれている気がしてなりません。
どんな方法でも相手を意識した言動が必要だと思います。感じ方や考え方が人それぞれ違うのは当たり前ですが、
相手の感じ方や考え方を受け入れることを忘れたら、考えが深まるということはないのではないかと思います。
こうしていくのがいいのではないかということをみんなで探っていくということは、
自分の生きるということを見つめ考えていくということにもつながっていると思います。