飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2021年8月9日

白尾 公信 (了心寺住職)

第32話 唯我独尊

夏の暑い日、スーパーでラムネ(炭酸飲料)を買った。

飲む前には中のガラス玉を下に落とすコツがいる。以前テレビでこのガラス玉の名前を聞いた。A玉というそうである。A玉を工場で生産する時に、

玉に傷が入ったり、形がいびつになってA玉になれない玉が出来るらしい。

その玉をB玉というそうだ。

 世の中には、色々なタイプの人がいる。社交的な人もいれば、内向的な人。

スポーツが得意な人もいれば勉強ができる人。どうしても他人の長所に目がいって、

自分もああなれればと自らを卑下しがちになる。

また若いうちは健康で病気ひとつしなかったのに、歳がよってくると

あちこち痛いところが出て、時には思わぬ病気を患うこともある。

「俺も          A玉のうちは良かった、B玉みたいになってまったら、何も良いことは無い。

いらんような人間になってまった・・・」と思ってしまったりするが、

AであろうとBであろうと、この世に必要の無いもの、

いらないいのちなど また無いのである。A玉は良いこと、

B玉はつまらないことのように思いがちだが、

A玉にはラムネの栓という大切な役割があり、

A玉になれなかったB玉には、子どものオモチャという素敵な役目があるのである。

 昭和天皇が「雑草という名の草はない。」と言われたそうだが、

その話しを受けて「植物に雑草という名の草はない。

工場にも雑用という名の仕事はない」という言葉を目にしたことがある。

この仕事は偉い、あの仕事はどうでも良いという区別は無く、

それぞれが与えられたことを成すことで、一つの製品が出来るということであろう。

 ああなりたい、こうであったら良かったと思いは巡らせるが、

大切なことは、いただいたこの私のいのちを、あるがまま そのままで精一杯

花咲かすことなのでなかろうか。

 仏説阿弥陀経「青色青光・黄色黄光・赤色赤光・白色白光」

  (青色の蓮は青い光を放ち、黄色の蓮は黄色い光を放ち・・・)

PAGE TOP