2021年8月2日
三島多聞 (高山別院輪番)
第31話 Be here now
二年ほど前になるかな、サーフィンの外国人名選手がある学校のサーフィン部員に
指導に来ていた様子をテレビで見た。彼の指導の話を聞いていて、オヤッと思った。
まるで「念仏」の話をサーフィンの乗り方を借りて話しているようだった。
「波に逆らうな。ボードの上で波の打ち上げる力にあらがうな。身を波に乗せよ。
ボードから落ちるのは、乗っている者が余分な動き、考えを持つからだ」
ということを幾度も言い伝えていた。
あの指導者、他力念仏の教えを聞けばすぐ領解するだろうと思った。
彼は身体で「まかせる」ことのすごさを体験しているからだ。
彼はきっと、念仏の教えを体で聞くだろう。
念仏を、底より突き上げてくる大波の力として心に感ずるだろうと思った。
昨年末、東京の映画監督である友人が助手の若者と、高山の「花もち」を取材に来た。
夜、家で鍋を囲みつつ歓談していて、若者はアメリカでサーフィンを学んできた話をし出した。
米国の指導者が波上の一番大切な時に「be here now」という。
その意味が分からないと言い出した。面白く聞いていて、
その「be here now」と叫ぶ時の状態が判ってきた。
それはボードの底から突き上げてくる大波の力に、全く余計な思いを持たず、
波の力と身体とがひとつになっている時、「be here now」といっていることを知った。
以前テレビでサーフィンの指導者の言っていることと一致した。
英語を直訳すると、「今、ここ」となるが、
意訳すれば「本当の自分が今ここにいる」あるいは、「波に乗っている今の自分が本物だ」となる。
仏教の「無我」ということからいえば、「無我こそ真実の自己」。
粗雑な自己から脱出した自己の発見です。念仏の上から言えば、念仏申すただ中に、
如来の願心に乗じて生きるということです。
念仏申すそのところが「be here now」です。