2021年7月12日
四衢 亮 (不遠寺)
第28話 人生の豊かさ
『イノチのつぶやき―こどもとおとなへの4つの質問』という可愛い本があります。その中で「自分が大切にされた体験で記憶に残っていることはどんなことですか」という質問に、小学校の低学年の子がこんなふうに答えてます。
「おそくかえっているあいだに、ぼくをさがしてた」。夕闇がせまり心細くなって気持ちがせいて家へ急ぐ中、帰ってこない自分を探しているお母さんお父さんにばったり出会ったのです。名前を呼ばれ、「遅くなったね」と声をかけられ抱いてもらい、心配しあちこち探し回ってくれた親の暖かさを感じ、大事にされていたことを知ったのです。
独りぼっちだと感じて、闇に押し包まれる不安の中にいるとき、自分の名前を呼ばれ、「お母さんよ、お父さんだよ」と声をかけてくれる。「名」という文字は、夕方の夕と声を発する口が合わさった文字です。夕闇の中で、はっきり見えないとき、そこに名を呼び、名乗ってここにいるよと知らせる、それが名の形です。
同じ質問へのおとなの答え、「自殺しようとして、できなくて、帰ってきたとき、友だちが泣いてくれたこと」。死ななかったことに何よりも安堵して、その死にたいほどの辛さや苦しみを一緒に泣いてくれる友だち。辛さや苦しさを悲しみ分かち合ってくれる友の存在が、私たちが生きる支えです。
うまくいっている時や上り調子の時は、近寄って大事にしてくれても、つまづき失敗すると、離れていくのは友だちではないでしょう。辛さや苦しさに沈むときにこそ、決して見捨てず名を呼びかけ、そばにいて寄り添い、悲しみを分かち合い、一緒に歩みを開いてくれる友。そんな存在を『涅槃経』は善友と言います。
善友になれというのではありません。これまでも色んな人や出来事が善友となって、私に呼びかけ寄り添ってくれていないだろうか。それに気づくことができること、それが人生の豊かさだと教えています。