2021年6月7日
小原 正憲 (專念寺住職)
第23話 「宗教空間」と「世俗空間」
ある先生が「日本人の忘れもの」という書物で「宗教空間の回復を」といわれていました。
こんな言葉があります。「人は転ぶと坂のせいにする。
坂でなければ石のせいにする。石でなければクツのせいにする」
自分は悪くなく他が悪いのです。自分中心で我執でかたまり自分を良しとして
「世俗空間」を生きているのです。
「心の中、見せれば逮捕されそうで」ありますが、煩悩具足の身を生きているのです。
煩悩を持っている身なら放すこともできますが、煩悩で出来ている身ですから、
一生の付き合いもので死ぬまで悩みは尽きません。
助かるとは、煩悩が少なくなったり、無くなったりすることではなく、
煩悩と如何に折合いを付けるかです。
そこで「宗教空間」をいただくことにより自分を見つめ省みる人生をいただくのです。
自分中心で欲得には「頭を下げる」身が真なる空間に触れることにより、
この頑固な私が「頭が下がる」人生をいただくのです。