飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2021年5月10日

四衢 亮 (高山1組不遠寺住職)

第19話 心ひそかに願うこと

お参りに伺ったお宅で、90歳を超えた女性が、

「長生きをすると、いろんなことに出会わんならんもやなあ」と話されました。

この度の、新型コロナウイルス感染拡大の中を生きることをおっしゃったのです。  

戦前・戦中・戦後という激動の時代を潜り抜けて、伊勢湾台風、38年・56年豪雪、

阪神淡路大震災、東日本大震災などたくさんの災害も目にし、

個人としてもたくさんの別れや辛さに出会ってこられた道のりです。

そして最晩年の今、コロナの時代を生きることになりました。  

でもその言葉には、 「最後にきて、こんな不安の中を生きることになるのか」という

途方に暮れる響きはありませんでした。

また、「いろんなことがあったから、これくらいのこと何でもない」と

大言壮語する風でも、全くありません。  

自分の考えや予定した通りに人生は展開しませんし、 思いのままに生きられるのではないでしょう。

むしろ思いもかけないことが起こり、予期せぬことが持ち上がるのが人生です。

それでたいへん苦しむこともあり、辛さに耐えなければならないこともたくさんあります。

けれど、だからこそ思いのままにならない者どうしが、それを抱えながら助け合い、支え合って、

出会えるのが人生の嬉しさであり豊かさだと教えられることも幾度もあるでしょう。  

今回の新型コロナウイルス感染にあっても、情報に踊らされてトイレットペーパーを買いだめしたり、

病に弱った感染者や医療に携わる人々を、自分の感染不安に駆られて、

中傷したり排除する愚かさも見せつけられました。

しかし、その意地悪な誹謗中傷の愚かさ以上に、励まし応援し支える人の暖かさも知ることができました。

こうして与えられた出来事一つひとつを無駄にせず、人間の課題を学び、受け止め尽くして歩みたいものです。

その方の言葉はそうした受け止めの響きでした。

実はこれは、私たちが心ひそかに願っている生き方ではないでしょうか。

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