2026年2月1日
野崎 千晴 (西正寺坊守)
第187話 命をいただく
一滴の水にも 天地の恩寵あり
一粒の米にも万人の力こもれり
感謝していただきましょう
これは私が中学時代を過ごした中学校に隣接していた寮の「食前のことば」です。私の生まれ育った地域では遠方の学生は通うことが大変でしたので、親元を離れ、月曜から金曜までは寮生活、週末に家に帰るという三年間を過ごしました。寮生活では、洗濯や掃除は自分たちで行い、決められたルールや時間の中で規則正しく共同生活をおくる経験ができました。そのおかげで自立する準備が早くから備わることができたのだと思います。
食事は寮母さんが美味しく作って下さり、この食前のことばを皆で合掌し唱和してからいただいておりました。そのような経験のできる寮生活でしたが、少子化により寮生が年々少なくなり、道路も整備されスクールバスで通えるようになり、私の中学卒業と同時に残念ながら閉寮となりました。
その時から30年以上も経過しましたが、この食前のことばは、今でもすらすらと唱えられるくらいに記憶しております。
あらためてこのことばの意味を調べてみました。
・わずか一滴の水であっても自然界の恵みによって生かされているということ
・ 一粒の米であってもそれを育ててくださった多くの人々の苦労や力が加わっているということ
すなわち、食べ物には命があり、自然界の恵みや多くの人々のご苦労がかけられているので、粗末にせず大切にいただきましょうという教えでありました。
飽食ということばがあります。 「食べ物に不足がなく飽きるほどに食べられること」という意味があります。 先日、 私は家族に向けてこんなことを言っていたことを思い返しました。
「お正月のおかがみもちがカビてしまうから早う食べならんよ」 命をいただいているのに、食べならんなどと言い粗末に扱っている私。それゆえにありがたさや食への関心も薄れてしまっている贅沢な私に気づかされました。
毎日食べられるありがたさ、当たり前ではない命をいただいて生かされているありがたさを忘れてはならないと思いました。

