飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2026年1月1日

佐藤 義晃 (了德寺住職)

第185話 とらえ方ひとつで…

 先日、ある友人から、「恩徳讃って結構厳しいことを言われとるよなあ」と投げかけられました。「『報ずべし』『謝すべし』と言われても、なかなかそんなふうにできんもん」

 私もそう思っていたこともありましたが、今は受け止めが少し変わってきました。この友人のように『べし』という言葉を『~しなければならない』と受け止めたり、『~するつもりだ』とか『~する決心だ』と解釈すると、おきてやルールのように感じられてしまうかもしれません。親鸞聖人ははたしてどのような思いでうたわれたのでしょうか。

 私が今まで聞かせていただいた仏さまのお話の中で、『~しなさい』『~しなければならない』というお話はあまりありませんでした。だらしない自分の姿を厳しく𠮟ってくださったお言葉はありましたが…。だからこそ、この『べし』という言葉を『~しなければならない』ととらえてしまうと違和感を覚えるのかもしれません。

 「何か気に入らないことがあるとすぐに怒り、人のせいにしてしまうような私がここにおります」とうなずくことができた時、おのずと報ずるようになっていく。「煩悩具足の身を生きている私です」「無明業障のおそろしき病にかかっておる自分です」と頭が下がった時、自然と謝すようになっていく。いろいろな方のお話を聞かせていただき今はそのようにとらえていますが、そのとらえは、まだ知識としての解釈だなあと感じている私です。

 とらえ方ひとつで味わいが大きく変わることがわかり、もっと味わっていきたいなあと思うこの頃です。

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