飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2025年12月1日

長尾 惇也 (法正寺住職)

第183話 言葉と心

 今の世の中はSNSを通して情報をいち早く得られるが、 間違った内容もあるため、注意が必要である。そんな中情報の言葉だけを信じてしまう事も時にはあるかもしれない。今の時代、人の言葉には気をつけなければならないと思う。
 そんな中で、有言実行という言葉がある。自分が口にした事を必ずやって実行していくという意味だ。自ら口にしたことでも簡単な事であれば実行していくには容易であるが、難しい事ほど実行するのが困難で口にするのも難しくなるのではないだろうか。
 逆にできない事を軽々しく口にすると、アイツは口だけだからな、と周りから思われるだけだろう。
 だから言葉とはその人の思い、つまりは心が言葉として表れるのだと思う。
 例えば困っている人に優しい言葉をかけても、心の中で見返りを求めていたら、その言葉は優しさではない。

 逆に、厳しい言葉でも相手を思っての一言であれば、それは慈悲の言葉になる。言葉の力が現実を変えるのではなく、言葉が自分の心を映し出すのだ。
 自分が望んだ事を口に出し、それを実現させていく人は、強い心を持ち困難を乗り越えたさきに自分の望みを実現させていくのだと思う。その過程で人と関わり言葉を交わしていく中で、自分の心は相手に届いているか、逆に相手の言葉をないがしろにしていないか。

 人の言葉聞き相手の心、思いを受け止めていけるかは、とても大事なことだと思う。
 どんなに聞こえのいい言葉より、その人の思いがこもった言葉が、ありがたい言葉ではなく、ありがたい心が言葉になって届く。
 だからどんな言葉を使うかではなく、どんな心で人と向き合うか。そこが大事なんだと思う。

 言葉に力があるだろうかと問うてみたが、言葉に力があるのではなく、その人の強い心が言葉になるのだろう。

 ここまで言葉と心を考え話してきたが、 自分にはとても難しいと思う人がほとんどだと思う。だからまずは人に対して、物事に対して素直な心で向き合えた時に、その思いは言葉になって人に届いていくのではないだろうか。
 みなさんの自分の物事に対しての向き合い方を今一度見つめなおす機会になれば幸いである。

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