飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2025年10月1日

帰雲 真智 (還來寺住職)

第179話 血糖値と分別心

 血糖値をコントロールするため、その時々の数値の変化がわかるワッペンのようなセンサーを腕に取り付けた。スマートフォンに入れたアプリと連動して、画面で確認できるのだ。
 何か改造人間になったような気分だが数値は正直で、食べたら食べただけ上昇し、特に甘い物はてきめんである(あんこ怖い)。なので、数値が目標範囲に収まるよう食事内容を気にしたり、食後の上昇を抑えるために散歩をしたり、これまで怠ってきた努力をするようになった。
そんな私の横でつれあいは「あねかえし」(よもぎ餅にあんこが入った和菓子)を美味そうにぱくついている。私も大好きですすめてくれるのだが、あんこは天敵。「あねかえし」を食べた後の血糖値の「はねかえし」が怖く、泣く泣く我慢する。
 ストレスは半端ないが、思い通りにコントロールできたらゲームをクリアしたような達成感があり、先生からも優秀だと褒められ、このまま頑張ろうとやる気に満ちていた。
 その矢先、ふとつれあいの健康診断結果を見ると、私より甘い物をたくさん食べているのに、血糖値は何の問題もない。「俺はこんなに我慢しているのに不公平だ」と不満に思うと同時に、相手をうらやむ心が起こる。が、羨んだとて自分の体質は変わらないので今度は、「若くして1型糖尿病(免疫異常やウイルス感染などが原因でインスリンが分泌されない)を発症した方に比べればまだましか」と思うも、それは1型糖尿病の方と比較し、相手をおとしめて、自分を納得させようとする卑劣な思いに他ならない。
 せっかくのやる気もどこへやら。自分の境遇を相手と比較して、羨んで劣等感におちいったり、相手を貶めて優越感にひたったり。四衢亮さんが、自分の都合を中心にして善悪や優劣を分けて比べることを仏教では「分別」と言い、仏の智慧は分別することなくあるがままに見るので「無分別智」と言うと教えてくれた。無分別智にふれ、分別苦に沈むわが身の愚かさを知らされ、恥じる心の起こる時、初めてあるがままの自分を受け入れられるのであろう。
 「俺は俺、あるがままを引き受けて生きよう」、そんな私の横でドーナツを頬張ほおばるつれあいを見て思う。「なんて不公平な!」。血糖値は変化すれども、私の分別心は不変であった。

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