2025年9月1日
伊達 俊幸 (稱讃寺住職)
第177話 お盆とお念仏
お盆の季節がおわりました。ほんとうに夏の暑さは、年々ひどくなってきて、このままでは宇宙服みたいなのを着てお盆参りをしないといけないのでは……などと身の危険を感じながらお盆参りをしています。
お盆の由来ですが、このような話が元となっています。
お釈迦様に目連尊者というお弟子さんがいました。神通力がお釈迦様のお弟子の中で第一だったそうです。その目連さんが神通力を使って今は亡き母親の姿を探したところ、餓鬼道(飢えと渇きに苦しむ世界)で見つけました。目連さんの母親は自分の子供である目連を溺愛するあまり、他人の子供を顧みることがなかった、その報いとして餓鬼道に落ちていました。
その餓鬼道で逆さ吊りにされ、飢えと渇きに苦しむ母親を救おうと、目連は水や食べ物を差し出しますが口に入る直前に燃え尽きて灰になってしまいます。
なすすべなくお釈迦様に相談すると、お釈迦様は「夏の修行が終わる日(旧暦7月15日)に修行僧全員に食べ物を施しなさい」とお答えになりました。
お釈迦様に言われた通りにすると、修行僧たちは大いに喜び、その功徳によって目連の母親を餓鬼道から救うことができたそうです。
このようなことでお盆経がつとめられることとなりました。このお経は、ご先祖様が、年に一度お盆の時期にあの世から戻ってこられるという中国発祥の風習に合わせて、その心に寄りそって、仏教の平等思想を説くことを目的としてつくられたお経のようです。この平等思想の実現を徹底したところに、私たちのお念仏、浄土真宗があります。
浄土真宗では、亡くなられた方々は、常に私たちの娑婆世界に念仏の声を広めようと帰ってこられると受けとめます。お浄土にまいられた皆さんがこの娑婆に来られるのはお盆の間だけではありません。お浄土の皆さんは娑婆にいる私たちに、念仏して仏の大慈悲を忘れずに人生を歩んでくれよと願っておられます。それを思い出す機会として、お盆の期間に合わせて亡くなられた方と共に念仏しているのです。そして南無阿弥陀仏の声ですが、それは阿弥陀さまのお心、すべての存在を誰一人残さず救い取りたい、その命すべてをまっとうさせたいというお心が声となって私たちに届いているのです。そのことを私たちも南無阿弥陀仏とお称えして受けとります。そして私たちはこの阿弥陀様のお徳が、はたらいていることを世界中の人に知らせるためにも、また南無阿弥陀仏とお称えするのです。どうかみなさまお念仏してください。