飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2025年7月15日

小原 正寛 (專念寺住職)

第174話 釈迦三尊

 専念寺の蔵の中は経蔵になっており、中には釈迦如来、右隣に弥勒菩薩、左隣の阿難尊者の三尊が安置されています。この経蔵は江戸時代後期にたてられ、別院の火災にても延焼することなく無事でした。また、お経も安置されて、国府の安国寺のようにぐるりと回る設計になっているのが特徴です。

 一般的に釈迦三尊といえば、釈迦如来像を中尊とし、その左右の両脇侍(きょうじ)として文殊菩薩と普賢菩薩が多いです。しかし専念寺の経蔵は弥勒菩薩、阿難尊者です。また、東本願寺の御影堂門に安置されている釈迦三尊も専念寺と同じ釈迦如来・弥勒菩薩・阿難尊者です。これは浄土真宗において正依の経典であり、真実の教えである『大無量寿経』の会座が表現されています。

 中でも「多聞第一」と言われた阿難尊者の合掌する姿がとても印象的です。また、阿難尊者の姿は金色ではなく色がついています。このことは阿難尊者が悟りを開くことができなく、まだ道を求めている姿をあらわしているのです。大無量寿経には「我聞如是」(わたしが聞かせていただいたところは、つぎのようである)と、阿難尊者の問いにこたえられたことから始まります。大無量寿経では阿難尊者の問いから法蔵菩薩の物語、そして、阿弥陀如来になられ、すべての人を救いたいと願い、48の願いをたて、浄土という国をたてられていくのです。

 右隣におられる弥勒菩薩は未来に仏になられることが約束された菩薩であり、教えが説かれた後の衆生が未来にても救われていくことが約束されていることが大無量寿経の下巻で説かれていくのです。

 大無量寿経の中では阿難の問い(現在の救い)法蔵菩薩の物語(過去から願われている願い)そして弥勒菩薩へのメッセージ(未来への救い)が説かれています。

 また、親鸞聖人は大無量寿経が釈迦如来の出世本懐(釈迦如来がこの世に現れた目的)と示され、なぜ念仏を称えるのか説かれています。

 私たちが南無阿弥陀仏と念仏を称えることは私たちの問いに応え、過去から願われている願いに気づき、そして未来を願うものとして念仏の声が響いているのです。

PAGE TOP