2025年5月15日
三枝 正尚 (隨縁寺住職)
第170話 同朋唱和—「このことが大切だよね」と、共に確かめるお勤め―
ある市内のスーパー〇〇でのこと。小学校低学年くらいの女の子が、大きな声で「きみょーむりょー じゅにょーらい」と歌い始めました。横にいたお母さんが、とっさに女の子の口を押さえ、恥ずかしそうにされているところに出くわしました。母親としては、ここはお勤めをする場所じゃない!と、とっさに判断してのことだったでしょう。おそらくお寺のお勤め練習会に参加して、「正信偈」のお勤めを覚えはじめたくらいの子だったのではないでしょうか。
「同朋唱和」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。僧俗を問わずみんな一緒に「正信偈」のお勤めをすることを言い、とても大切にされてきています。
今から2500年ほど前の、インドのお釈迦さまの話です。お釈迦さまは80歳でお亡くなりになられました。その後、お弟子の一人であるマカカショウは、お釈迦さまが説かれた教えを弟子たちが勝手に解釈し、間違った教えとして伝わっていかないか心配されました。そこで、マカカショウは500人の弟子を集め、お釈迦さまの説かれた教えを確かめあう集まりを開きました。この集まりがもととなり、お経が作られていくこととなることから、このことを「経典結集(きょうてんけつじゅう)」と言います。この経典結集という言葉、インドのもともとの言葉に返すと、「共に唱和する」ということなんだそうです。
お釈迦さまは、たくさんの教えを説かれましたが、文字にして残すということはされていません。では、どのようにして弟子たちに伝えていたのかというと、教えを唄にして声を出して唱え、弟子たちはその唄を覚えて声に出して唱和していました。
お釈迦さまが亡くなられて後の500人の弟子たちの集まりは、これまでに聞いて覚えてきた教えの唄を共に唱和し、「お釈迦さまが大切にされた教えはこうであった」ということを確かめいく場であったのではないかと思います。
同じように、今日、日々のお勤めや法事、葬式で、一緒に声を出して「正信偈」のお勤めをする「同朋唱和」にも、親鸞聖人があきらかにされた本願の教えを、僧侶も門徒も、人間のあらゆる立場を越えて、「このことが誰にとっても大切なことだよね」と共に確かめていくという、そういう意味があるのではないでしょうか。
親鸞聖人のご命日に勤まる「報恩講」は、そういう確かめの場として脈々と勤められてきたのでしょう。