飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2021年4月16日

日野光洋 (益田組桂林教会 主管者)

第17話 当たり前から ありがとうへ

私たちの生活はコロナウイルスの蔓延により大きく変化しました。

3蜜の回避や新しい生活様式の推奨によりいままで当たり前と思い

生活していたことが有り難き(ありがたき)ことであったと知らされました。

 

「ありがとう(有り難う(ありがとう))」  「当たり前(あたりまえ)」

    ↓             ↓

「偶然にして起きた」=奇跡(きせき) ⇔ 「当然(とうぜん)」

 

『手を洗おう』、『うがいをしよう』と世界で言われていますが、

そもそも手を洗う水に恵まれているのはわずかな国々であり、

うがいができる国は世界で16か国ほどしかないそうです。

世界の10%の地域しか水に恵まれていないのです。

『家にいよう』、無駄な外出は避けましょうと言われますが、

世界の1億2千万の人にそもそも家がありません。

世界の70人に1人に家がないのです。

 

私たちはあたりまえのように日々を過ごします。

 

 毎朝目覚めるのが、あたりまえ

 食事ができるのが、あたりまえ

 家族に会えるのが、あたりまえ

 友達に会えるのが、あたりまえ

 生まれてきたのが、あたりまえ

 息ができるのが、あたりまえ

 生きているのが、あたりまえ

 

今日という1日を、今の一瞬を、当たり前に過ごしていく。

今日誰かと出会い、話し、笑い、食事をして、仕事ができる。

こんな当たり前だと思っていたことも本当は奇跡の連続だったのだ。

 

ああなりたい、こうしたい、なんでわたしだけ、あの人はいいな、

幸せになりたい、そんな思いに苦しむ私ですが、

コロナ禍にあって気づかされたことがありました。

 

幸せは なるものではなく 気づくもの

当たり前から ありがとうへ

 

「おかげさまで、おかげさまで、ありがとう」と感謝の日々を送られていった先輩たち、

そんな先輩たちが仏さまとなって願っておられる。早く気づいてくれと。

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