2025年5月1日
小長谷 智行 (大德寺住職)
第169話 女人往生「賽の河原の話」
黄泉の世界ともつながっていると言われる日本三大霊場のひとつ恐山の入り口には、幼くして亡くなった我が子を供養する、人々が積んだ石仏が至る所にあるそうです。
先だった子が死後送られるといわれる「賽の河原」、三途の川を渡ることを許されない子供たちは、救いを求め河原の石を積んでいます。
母親は死後、河原で再会し、一緒に三途の川を渡って行く。
河原で石を積んでいる間、母を待っているのか、無常にも積んだ石を鬼がやってきて崩していきます。子供たちはまた石を積み始めます。罪を償っているかのようです。
今なお石を積み続け、鬼(母)に石積を崩され往生できないのは、子供ではなく、今を生きている、子に先立たれ、事実を受け止めきれず、悔やみ救済されない人間の苦悩を表していると受け止めています。
別離の情さりがたし、恩愛の絆、いよいよ絶ちがたし
年忌法要に伺うと、お内仏には、幼子の遺影と供に、お菓子とかわいらしいぬいぐるみが供えられていることがあります。人によって経過していく時間は様々です。だた無常に時は流れていきます。
思うに無常の嵐は時を選ばず処を定めず老少のへだてあることなし
私たちは、受け入れられない現実を、お念仏で奮い立たせ、受け難いわが身を頂いています。