飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2025年3月1日

江馬 耀準 (光雲寺住職)

第165話 師の教え

 昨年、ご門徒である、ひとりのおばあちゃんが亡くなられました。

 彼女と私とのご縁は数十年前からであり、若き時に亡くされたおつれあいのご命日、報恩講そしてお盆のお勤めの時には、いろいろなお話をしてくださいました。それは、世間話から始まりましたが、私はその時間が楽しくまた嬉しく、ただ相づちをうちながらお聞きしていました。そういうご縁が二十年ほど続きました。

 私が六十歳を過ぎた頃、おばあちゃんの心の中のことを話してくださいました。その内容の重さに驚くとともに、それを黙して語ることなく生きてこられたことにとても大切な事柄があると感じました。それゆえ何度もお聞かせいただきました。夫を亡くされた若きおばあちゃんの悲しみや不安ははかり知れません。その中で努力して職を得、子どもさんとともに生きる決心をされたのでした。それは、亡き夫を縁として仏さまと真向かい、子どもをなかみとする生き方であり、文字通りお念仏とともにあったのだと感じています。いのちの願いがあふれている生きざまだったと思います。言わば「悲しみ笑い」(中島みゆきさんの言葉)でした。

 私は、御師匠様より「あなたはご門徒さんに仏法を語ってはいけません。そうではなくて、ただご門徒さんから仏法を聞いてください」と教えられ、それを実践して生きてきました。それは三十年近くに及び、その間は御師匠様の教えを中心に親鸞聖人の浄土真宗を学び続けました。それを支えてくださったのが、「いなかのおじいさん、おばあさんのお念仏がほんものだとわかるように学んでください」という御師匠様の教えでした。

 このおばあちゃんも、他のご門徒さんや有縁の方々と同じように、私にお念仏を示してくださった尊い方です。そのお一人おひとりに物語があります。

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