2025年2月1日
平野 邦子 (本教寺前坊守)
第163話 好きな言葉
一口法話をといわれましたが、私は専門に勉強したこともなく書けませんので、好きな言葉を書きたいと思います。
三帰依「仏法僧」の「僧」、僧伽(サンガ)のことです。教えのもとに繋がりあう世界という言葉です。2020年2月より突然コロナの影響で親子、きょうだい、親戚などの家族関係、同級生など学校関係や、職場、また趣味や好きなことで集まる友達関係、住んでいる町内や班など近所の地域関係、すべて私がこれまで生きてきた、また支えてくださった人間関係を切ってしまいました。行事や集まりの会などの形を変えてしまい、葬式のお参りまで変えてしまいました。それにマスクをして買い物などに行っても顔がわからず、あいさつや声かけもしなくなりました。繋がりが壊れていったなかで、あらためて僧伽の繋がりがいかに大切であったか、ありがたいものであったかを思わされました。
その後、繋がりは2023年春ごろより徐々にもどりつつありますが、今度はその中で私自身の老化がガタンと急に進んでしまいました。今後私の確実なことは、死ぬということです。そこで「どこに死ぬのか」「死なんと欲す」という言葉が好きです。死ぬということの前には一切のごまかしがききません。私自身がどのように死へ向かうのか、否応なく問われつつあるなかで、教えと向き合う促しを受けています。
また、「願以此功徳」で始まる回向の和訳歌詞なのですが、
「願わくは 一切世界の人々と この出会いの喜びを
みな平等に分かち合い ともに仏になる心 発(おこ)して
阿弥陀みほとけの 安楽国に生(あ)れ
生きてはたらく身とならん」
この回向の歌も大好きです。はじめの僧伽の言葉とも繋がってきますが、一切世界の人々と平等に喜びを分かち合い、ともに生まれゆく広々とした世界を感じさせます。現実はなかなかそういきませんが、だからこそどのようにしていけばいいのか、どのようにそういう世界を作っていけるのか、ということを思わされることです。