飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2025年1月15日

宮川 暁声 (暎芳寺住職)

第162話 「老苦」

 今年の正月に同級生から年賀状を頂きました。そこには「年令も来たので年賀状での挨拶を今年で止める」ということと、「「老苦」を味わっています」ということが書かれていました。私はこの言葉に、はたと引っかかってしまいました。

 私の周りでは、集まると病気自慢や薬の知識についての話ばかりです。私自身も次々と病気にかかり、体調不良に悩まされてきて、病気からの苦痛、苦しみに耐えいくつもの薬を飲み、やっと生活しているのです。ですから病気はしかたがない。あの隣の人よりはまだましだ。でもそこからなんとか回復したい、苦痛を取り除きたいとあがいています。お釈迦様が言われた生老病死の四苦八苦の人生だと。今は病気で苦しんでいるが、やがて治っていくだろうと納得していたのです。

 しかし友人が「老苦」を味わっています。と教えてくれました。私の今生きている病気生活そのものが、老と言われる人生なんだと。私の苦痛は病気への苦で、しかも逃げてばかりで、病気を味わうことなど思いもよらない生き方だと思いいたったのです。

 仏教は苦しみ、悩みから解放された世界を浄土と言います。この人生を生きている限り苦しみ、悩みから解放される事はないでしょう。しかし浄土に思いを寄せ、浄土に遊ぶことは出来るのではないでしょうか。やがて命終わる”死”を前にして、病苦を味わい、老苦を味わっていくことによって、豊かな人生になるのではないでしょうか。

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