飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2024年10月15日

澤邊 惠秀 (誓願寺前住職)

第156話 ものゝみとなる

 派閥裏金事件など 「政治とカネ」の問題に端を発し、 国民の政治不信が極まる中、 石破新内閣が発足し、 衆議院が解散され、 10月27日投開票であります。
 各政党の公約実現に向けた政策は、 どれもごもっともであります。
 「言うは易く行うは難し」 と、 口で言うだけなら簡単だが、 実行するのはむずかしいということがありますが、 人と人との意思の疎通は、ほとんど言葉によってなされています。 口は禍の門ともいいますが、 言葉づかい一つで人間関係が損なわれたり、トラブルが起きることもよくあることです。人は言葉によって生き、 言葉によって躓くこともあります。
 高光一也先生は 「人間は言葉を使って意志交換をします。しかし、偉そうなこと、解っ たようなことを言っているが、 人間の言っていることを縮めれば次の4つに収まる。それは何かといえば 【そんでも そやけど あいつが こいつが】 だ」と、結局この4 つのことを言って毎日日暮している。「そんでも そやけど」は自分を弁護する世界です。 「あいつが こいつが」は責任を転嫁する世界です。 なかなか人間は「あーそうや ったなぁー」 と、正直に自分を引き受けることができないものだと。
 私たちは、よく「口ではなー」というように愚痴や小言がよくでます。言っても仕方のないことを「愚痴をこぼす」といいますが、愚痴は心の中にある三毒の一つで、言葉によって口から出るから「こぼす」というわけです。
 私たち人間は、まったく心で思っていることと、口で言っていることとが異なって、 じつがないものだと、 お聖教の中で「心口しんくおのおのことに 言念実ごんねんじつなし 一心口各異 言念無実一」とお示しくださっています。
 この「じつ」というのは親鸞聖人が 「かならすものゝみとなるをいふなり」と言われる ように、 自分さえ良ければということではなしに、 相手の身になってものを言ったり、 行ったりするということであります。
 ふだんは、 体裁を繕って殊勝なことを言っている私ですが、すべて自分の都合次第、自分ファーストで、 何かを言い、何かを思い、 何かことを行うという邪見憍慢な私で あると気づかされます。

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