2024年9月1日
三枝 香 (隨縁寺坊守)
第153話 聞かんならんのやさ!
「実るほど 首を垂れる 稲穂かな」
9月に入り、黄金色の田んぼを見るといつもこの言葉を思い出します。
どなたか有名な方のものかと思いましたが、作者は不詳とのことらしいです。人として偉くなっても謙虚であれということなのでしょう。なかなか稲穂のようにはいかない我が身が思い知らされます。
安田理深さんは「仏法を学ぶということは、向上の道ではない。向下の道である」と、ことあるごとにおっしゃっていたと聞きます。
向上心を持て!というのは、いわば人間の遺伝子に組み込まれているんじゃないかと思うほど、当たり前のように言われてきていることでしょう。私自身も、子どもに勉強やスポーツに取り組む姿勢として言ってきたように思います。プロのスポーツ選手や、オリンピック選手などは正に向上心のかたまりです。そこへいくと、向下の道とは?
このことについて宮城顗さんは、「上に対して下があり、下と呼べる世界を見て、そこへ私が入っていくことではなくて、自己の本来の世界に帰ること。帰るということは、後戻りをするということだけではなく、忘れてしまっていることを回復すること、身の事実に帰ること」と言われています。
この言葉に触れ、ある御門徒さん(Kさん)の言葉が思い出されます。Kさんは、もともとお参りをされる方でしたが、病気で若くして息子さんを亡くされてから、さらに熱心にお寺や別院に参られるようになりました。
ある時私が「よくお参りされますね」と言うと、「私はお寺に行って話を聞かんと、どこに行ってしまうかわからん者やで、聞かんならんのやさ」とサラッと言われ、ハッと思わされたことがありました。
Kさんは、自分の境遇を憂い別の自分を追い求めたり、何か高見に向かって行くのではなく、今の自分を確かめていくような、身の事実に帰っていくような聞き方を大切にされているのかなと思いました。息子さんの死を通してたどり着いたのは、聞いて分かったという求め方ではなく、聞き続けて生きていかなければいけない自分であることに気づかされていく道なのだろうと思わされました。
こういう姿が、聞法の道、向下の道なのかなと、宮城先生の言葉と重なるものを感じたことです。