飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2024年8月1日

中川 唯真 (教区駐在教導)

第151話 十方に聞こゆ ―長崎の地より―

 今年も8月を迎えました。

 パリオリンピックで日本全国が盛り上がる中、お盆に向かって亡くなられた方を想う、もの悲しい雰囲気も感じられます。

 この雰囲気を作り出しているのはお盆という行事だけでなく、79年前の広島、長崎の原子爆弾の投下、そして敗戦という悲惨な過去の出来事があったためではないでしょうか。私は高山教務支所に転任する前は、長崎教務支所(長崎教会)で勤務していました。この時期になると初めて長崎の地で8月9日を迎えた時のことを思い出します。

 長崎の町に住んでいると、毎月9日に電子音のメロディーが聞こえます。初めは「何だろう」と思うのですが、9日であること、また音が流れるのが11時2分であることから、原子爆弾投下時間に合わせて、この日を忘れないために放送されていると気づきます。毎月の命日を町として大事にしているのです。

 そして、原子爆弾が投下された8月9日、11時2分にはアナウンスがあった後、1分間のサイレンが大きな音で鳴り響きます。私は原子爆弾が投下された場所の近くの墓地で、初めてその時間を迎えました。皆で墓碑の前で法要を勤めるのですが、時間が近づけば勤行を中断し、次第に話し声も無く皆が静かになっていきました。

 実際にサイレンが鳴るころには、騒がしかった長崎の町の音が止んでいるのです。正確には遠くでセミの声や、信号機の音などが聞こえますが、全く音が無くなったとのではないかと感じるほど静かになり、皆が手を合わせるのです。その1分間は、その時、その場所に行かないと体験できない時間でした。午後には長崎教務支所で祥月命日の法要が勤められます。この場所には戦後の厳しい中、ご門徒の皆さんを中心として、野ざらしになっていた原子爆弾で亡くなった方々のお骨を拾い集めた、その数、1~2万体とも言われる収骨所があります。

 サイレンの音や法要でお勤めの声を聞きながら手を合わせていると、悲しい歴史があったこと、そこから現在まで生きてきた方がいること、亡くなってお骨になった方のこと・・・など、それらから自分の現在の生き方が問われてくる気がします。また「如来微妙の声、梵の響、十方に聞こゆ」(『願生偈』)という言葉が浮かびました。手を合わし南無阿弥陀仏を通すことで、サイレンの音やお勤めの声など様々な形をとって、私に大切なことを伝えてくれていると感じます。

 長崎教務支所では毎月9日に現在でも法要を続けています。長崎にお立ち寄りの際はぜひお訪ねください。ただ遠方で現地に行くことは難しいかもしれませんが、この時期には思いを馳せ、それぞれで手を合わせることを大事にしてほしいと思います。

 長崎の地では79年目の祥月命日を迎え、80周年の法要に向けての新たな1年が始まります。

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