飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2024年7月1日

渡邊 陽子 (了因寺坊守)

第149話 「いいことありますように」の「いいこと」って?―娘との関わりの中で考えていること

 小学生の娘は美術教室に通っていますが、先月は飛騨の郷土工芸品である紙絵馬に自由にデザインを施した作品を作成しました。通常、紙絵馬には『交通安全』『家内繁盛』などの祈願内容が書き入れられるようですが、まだ低学年の娘。彼女なりにそういった願文を解釈し、作品の片隅に書き入れたのは、「いいことがありますように」という一言でした。

 さて。「いいこと」とは一体何を指すのでしょうか。

 かくいう娘は、とにかく宿題が嫌いです。宿題を前にするととたんに不機嫌になり、机に突っ伏していたかと思うと、次の瞬間には本当に寝てしまうのです。そんな姿に、そこまでやりたくないものかと、むしろ感動さえ覚えるほどです。そこで私はあの手この手で宿題をしてもらうために画策します。おやつで釣ってみたり、競争形式にしてみたり。「先生に怒られるよ」とか「授業についていけなくなるから」などど、半ば脅すような声掛けをしたこともありました。それもこれも、私が「宿題をすることが良いこと」だと考えているからです。しかし、そんな無理強いを繰り返していては、勉強を好きになるはずがありません。学ぶことが嫌いになってしまっては、「宿題をすることが良いこと」にはなり得ないのです。

 このように、子育ての中には善悪の決められない事象があまりにも沢山あるように感じています。それもそのはず。子供達はだれも経験したことのない未来を歩んでいかなければならないのです。かつて、ゲームや漫画は教育に悪いとされた時代がありましたが、いまやそれらを悪く言う人は少数派です。同じように、加速度的に変化しているこの社会において、良いこと悪いことなど、誰にも決められないのです。そういう目線で考えると、目先の都合や理屈だけで、自分にとっての善悪を子供達に強いている自分の姿にハッとすることが多々あります。

 5月12日、飛騨御坊に於いて初まいり式が執り行われました。初まいり式は、赤ちゃんの誕生を喜ぶと共に、親として成長する歩みが始まったことを自覚する儀式です。ここで願われているように、親や社会が出来ることといえば、子供に寄り添い、共に歩んでいくことだけなのでしょう。

 子供達にとっての「いいこと」が、いつでも誰かが寄り添い、共に歩みをすすめてくれる存在を感じられることであるよう願うばかりです。

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