2024年4月15日
石井 宗 (西教寺住職)
第144話 あなたにとって真ん中とは
会議、研修会等において部屋に入ると、さあどこに座ろうと悩みませんか。窓際か、出口のそばか、最前列か。ではトイレはどうか。小便器が三つ並んでいるような場合、いずれかの端を選ぶのが一般的に多いのではないだろうか。ある学者さんによると、生き物にとって用を足している時間は、無防備になりやすい。だから、せめて片側だけでも安全を保つために端を選びたくなる。
そんな無意識の行動に、あえて逆らうことまでして、自分を鍛えてきたのが、スキー複合選手(ジャンプ競技とクロスカントリー競技)の渡部暁斗選手である。
トイレが三つ空いていたら、真ん中を選ぶ等、日頃の生活において、常に真ん中を意識し表彰台の真ん中に立つ自分をイメージしている。
同じような事をあるご住職に問うてみたところ、そのご住職も間髪入れず当然ど真ん中、南無阿弥陀仏やろのお返事でした。流石ご住職と思った瞬間でした。
そのはたらきは、いつでも、どこでも、だれにでもと願われたのが、南無阿弥陀仏です。
南無阿弥陀仏とお念仏申すことが、お救いの真ん中にあるのです。
真宗の教えは知的関心で学ぶ教えではありません。
本願のはたらきに照らされて我を張っている愚かさに限りなく目覚め続けていく歩みです。
母親の「わたしがあなたのお母さんよ」という名のりを通して、子供が母親の愛情にふれていくように、私たちは南無阿弥陀仏の名のりを通して、本願のはたらきに照らされて我が身を知る。そこで知らされた身の事実に素直にうなずけるただそれだけ。
お内仏の前に座り、御本尊を前にして南無阿弥陀仏とお念仏申してきたお同行の姿を思い起こすと、みんな素直な自分になっていたのではないかと思う。
本願のはたらきに出会い続けてきた歩みが、真宗門徒の歴史だ。
お念仏を自分を呼びさますよりどころとして歩んできた。
今後もお念仏申す生活にしようではないか。