飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2023年12月1日

平野 素浄 (速入寺住職)

第135話 ご命日参りにうかがって

 故人をおもりしておられるお宅には、年1回くる故人の命日「祥月命日」と、毎月の亡くなった日にちが当たる「月命日」の日が来るかと思います。

 自坊では、門徒さんのご希望にそってご自宅のお内仏でお参りさせていただく「命日参り」を勤めております。これは私の知る限り先々代から続いてきたお勤めですが、各寺の都合や考え、地域性によってやってみえない所もあるそうです。

 自坊のご門徒をみても、毎月何年も伺っているお宅もありますし、お仕事などの都合もあって35日・49日の忌明け法要以降は伺っていないお宅もあります。

かといって普段伺わないお宅が法事などを驚くほど丁寧に勤められたりしますので、命日参りがめんどうで、仏事に無頓着という訳でもないようです。

 ご命日参りを行う、行わない事の中にお寺、ご門徒のそれぞれ事情や考えがあり、正しいところはわかりませんが、数年お参りに周らせてもらって私の仕事がみえてきたように思います。

 

 ご命日は、故人が遺族、お家の方々さらには有縁の方々が手を合わせられるようくださった機会であり、機会をもらった皆さんが毎月、毎年忘れずにお内仏に参れるようなら十分でないかと思います。しかし、つい忘れてしまう、満足にお勤めできない、といったところをお手伝いするのが私の仕事かと感じました。

 具体的には『ご命日の日にうかがって、忘れてみえれば「今日は〇〇さんがお参りする機会をくださった日ですよ」とお伝えする。覚えてみえれば私も一緒に遇わせていただく、その際お勤めには、ご門徒より声明に慣れているであろう私が調声を勤める。お勤めの後、お話でもうかがえれば言う事なしの大成功!』といったところです。

 

 黒子と思える役目ですが、ご門徒のお宅へ伺うとなると、若いころから寺の者というだけで「お寺さま」と立ててくださる方々に護られてきました。その有り難さをおろそかにせず、私たちが向かうのは「阿弥陀仏」、故人をどうこうしようとせず頂いていることを確かめて感謝申していくことをお伝えできるよう、ご命日にうかがっていければと考えております。

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