飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2023年11月15日

小原 正憲 (專念寺住職)

第134話 終活と命終

 人生百年などと言われますが、日本で百歳以上の方は九万人位おられ九割近くが女性であります。年々長寿の時代になっています。

 そのような中で、人生の終りにむけて「終活」と言われ行われる方がみえます。たとえば、遺言の事、相続の事、それに断捨離、墓仕舞等、自分の周りの整理整頓です。身軽になり、気楽になった感じがするのでしょう。

 ところで、それだけでいいのでしょうか。大切なのは命の終活です。身の周りの終活が出来ても、これからの人生、終わりに向かっての人生、このまま死んでいけるのか、このままでは死にきれないのか、本願寺八代目の蓮如上人は「後生の一大事を心にかけて念仏申せ」と言われ、親鸞聖人は「本願力にあいぬれば、むなしくすぐる人ぞなき」と言われ、後生の一大事むなしくすぐるなよと、念仏申す身になり念仏と共に命終し、念仏の世界へ往生し迎えられると言われるのです。

 親鸞聖人は「なごりおしく思えども裟婆の縁尽きて、力なく終る時、かの土(浄土、彼岸)へまいるべきなり」、また亡くなる少し前から「余言の表わさず、ただ念仏のみぞ称えられた」と言われております。私たちは、人生がむなしく終るのが辛く、また帰る処が分からないのが不安なのです。子どもが「婆ちゃんは、どこへ行ったんや」と言うと大人が「そんなことは、死んでみんや分からん」と行方不明にしたりして、残った者も、亡くなった人も困るのです。生前から「婆ちゃんは念仏もうして人生、苦労の効があったよ」。また「仏様のところへ、まいらせてもらうんだよ」と伝えていれば、残った人も安心するのです。「前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、後に生まれん者は前を訪え 連続無窮にして」と親鸞聖人が言われますが、念仏相続がいかに大切か述べられております。「人は念仏申すために生きてきた」と言われますが「南無阿弥陀仏、人と生まれたことの意味をたずねていこう」という慶讃法要のテーマがありますが、一回きりの尊い人生、私が私で本当によかったと言える人生を生き、人生にけりをつけ浄土へ還らせていただきたいものです。

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