飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2023年8月1日

三島 見らん (西念寺住職)

第127話 健康第一

 ご存知だろうか?

「健康第一」「無病息災」「家内安全」の三大欲求ほど自然の道理に反しているものはないということを。人は生まれたら必ず老い、病にも罹り、やがて死ぬ。これが、道理だ。お釈迦さまは「生老病死」から「生きる意味とは何か」という問いが生まれ、出家を促した事柄として仏教はこの問題に深い意味を見出してきた。逆に、彼の人生に一つの事件も起こらず、病にもならず、所謂「ピンピンコロリ」で逝ってしまっていたら、さてどうなっていたであろうか。お釈迦さまは道理に目覚めたのであって、決して道理を覆す術を発明したわけではない。だから、真宗では端からこういうものは相手にしないのだ。

 もう10年ほど経つだろうか、京都の本山(東本願寺)でこのような出来事があった。本山には同朋会館という宿泊施設があり、連日全国から奉仕団・勉強会・研修旅行などの名目で多くの門徒衆がやってくる。私は世話役として北海道からの団体を受けもつため京都にいた。その団体は「推進員養成講座」という、「本当の門徒」の誕生を願った養成講座で、修了者はその後、大切なお役と責任を担っていくというものだ。

 講座の最終日には自身が推進員としてどのように歩んでいくのかを明文化し、それを読み上げる「宣誓式」があるのだが、宣誓文作成時に事件が起こった。こともあろうに「健康第一」という文言を是非入れたいというのだ。困った、その方の付き添いで参加されていたご住職に相談しても、やはり同じ反応を示した。「宣誓式」は本堂で行われるから、ありとあらゆる人も聞き耳を立てている。あとで、先輩方になんて言われるか分かったもんじゃない、恥をかきたくないからこれは訂正をしてもらうしかない、と即決。住職と一緒にお願いに向かったが、予想に反して頑として譲らなかったのだ。始めの内は低姿勢でお願いしていたが、終盤はほぼ命令口調になっていた。もうヘトヘトになった頃、「どうしてこの言葉にこだわるのですか?」と尋ねてみた。その答えに二人とも本当に閉口した。大病に事故、九死に一生を得た経験が三度あるのだと。「こうやって本山に参らせてもらえるのは、やっぱり健康だったからなのだよ」の言葉に、思わず住職と顔を見合わせたのを今でも忘れない。気づいた時には二人とも、頭が下がっていた。そう、こだわっていたのは、こちら側だったのだ。

 きっと「健康第一」を声高らかに宣誓したのはあの方が初めてだろう。その姿に私はただただ、清々しい気持ちばかりで、恥ずかしいなどという気持ちは微塵も感じられなかった。忘れられない一コマです。

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