2023年7月15日
内記 洸 (徃還寺副住職)
第126話 つかまえずにはいられない
①バナナを皮ごとぶつ切りにして、焼酎と混ぜる。
➁密封したビニールの中で天日干し。
③発酵したらストッキングに入れ、木に縛りつける。
カブトムシをおびき寄せる最強の罠、「バナナトラップ」の作り方です。「カブトムシ捕まえるべし」という、夏の男子の至上命題のせいで、昨年は親子で何度も林を往復しました。オス・メス合わせて、捕まえたのは計5匹。けれど、この「最強の罠」に引っかかってくれたのは、カナブン二匹だけでした。
誘い出し、おびき出して、捕まえる。言い方はアレですが、実は阿弥陀さまの「浄土」も同じだそうです。仏さまの「さとり」は、仏さま一人の、個人的なものではありません。究極的には誰もが、「ああ、そうだ」とうなずけるもの。その、「何とかして、みな共に」との仏さまの思い(慈悲)が、様々なかたちとなって表れたものを「方便」と言います。「こちらの世界は色とりどりの宝石や貴金属、芳しい香り、心地よい音で溢れてるよ」、「すべてが金色に光り輝いてるよ」、「不都合なことが何もないよ」等々。まさに「アミダ・トラップ」です。「念仏して、浄土に生まれる」とは、仏さまによって「本当に大切なもの」の境界(きょうがい)へ導かれていく、ということなのです。
「本当に大切なものを知る」。そこには、「そうじゃない諸々から離れる」ことが含まれます。普段、当たり前だと見なしていること、大切だと信じていること、必死で求めていること等々が、「実はぜんぜん違ったのだ」と。だから、いわゆる「世直し」と宗教とは、直接結びつきません。逆に、この順序が反転すると大変です。すべてが私たちの「欲」に巻き込まれ、「この世」的満足のための手段になります。お金・地位・名誉・権力のため、「みんな」ではなく「自分」のために、神・仏が利用されます。
政治家と、某宗教団体との癒着の問題。「この世」で起こるべくして起きたことです。互いに食(は)み合い、むさぼり合う私たち。賢いカブトムシたちのように、私たちもちゃんと自分たちの「あるべき世界」に帰らねばなりません。