2023年7月1日
日野 光洋 (桂林教会主管者)
第125話 東日本大震災から12年・・・13回忌法要 ~亡き人に思いを馳せ命に寄り添う法要~
2011年3月11日に東日本大震災が発生してから12年の月日が流れました。あの日飛騨の地にいた私も強い揺れを感じ恐怖を感じました。その後テレビをつけると初めて見る恐ろしい光景が流れてきます。なにが起こっているのか理解できない状況でした。この震災の被害、被災者のみなさまにわたしたちにできることはないかとの思いのもと飛騨のみなさまと飛騨御坊ボランティア委員会を組織し東北へ向かいました。あれから12年、飛騨御坊ボランティア委員会で宮城県女川町へ訪れるのも12回目でした。今回の訪問では東日本大震災の物故者13回忌追弔法要と共に12年の間に亡くなられたすべてのいのちに思いを馳せ、飛騨から訪れた私たちと、女川のみなさまと一緒に手を合わせました。
法要中、手を合わせながら涙される方、じっと目を閉じて手を合わせておられる方、それぞれが思いを馳せておられました。その姿は、ここまで歩みを進めてこられた12年の月日の重みを感じるものでした。
「あの日、私たちは、いつも当たり前だと思っていたものが実は当たり前ではなかったことを思い知らされました。そこからの日々は、その当たり前をもう一度取り戻すために皆で歩んできた道でした。私たちが取り組んできた復興まちづくりはどこかの時点で完了し、その姿は100年200年と続き、いつか将来の人々にとって当たり前のものになっているはずです。でも、その姿は当たり前だったものが失われた跡に築かれたものであり、もっと言えば、震災前に私たちが当たり前だと思っていた郷土の姿も、実は戦火や災害で失われた当たり前を取り戻すべく先人が築いてきたものであったことに気付かされます。」
この言葉は女川のみなさまの12年間の震災復興の願いのことばです。当たり前のことなど一つもないのです。今を共に生きるわれわれも、一人ひとり、先人の願いを大切にいただき、後のいのちの輝きを願い、今を大切に生かさせてもらわねばならない。