2023年6月1日
森 香里 (秋聲寺前坊守)
第123話 「わかった?」
これまで「わかった?」と何度口にしただろう。そしてそう尋ねられた時「わかった」と幾度答えただろう。
我が子に何かを頼んだ時「わかった?」と念を押すと、とりあえず「わかった」と返事がある。その後頼んだことが実行されていれば私の心に波風は立たないのだが、頼んだことが何もなされずそのままの時、私の心はざわめく。それに加え「これからやろうと思っとった」などと言われようものなら「わかったって言ったやろ」と語気を強めてしまう私。
私たちは、保育園や幼稚園・小学校・中学校・高校など集団生活を送る中で、行動の指示を受ける場面での対応をし続けてきた。先生からの指示後の問いかけ「わかりましたか?」に対し、年齢が低いうちは大きな声で「はい」や「わかった」と言っていた。年齢が上がるにつれ指示後の問いかけが「質問のある人はいませんか?」に変化すると、それに伴って「はい」「わかった」と答えなくとも、質問しない時点でわかったことにされていたのだろう。
ここでひとつ考えたい。指示通りの行動とならなかった時、責められるのは指示された側のみで、指示した側が問われないのはなぜだろう。
仮に指示する側が指示内容というボールを持っていて、そのボールを指示される側へ投げ、ボ-ルを受け取った証拠としての「わかった」だとしたら、双方ともボールを持っている方に責任があると考えているとのではないか。つまり指示内容の伝達までを指示する側の務めとし、指示内容が伝わった時即ち「わかった」と言った時以降のことは指示される側の務めとしてしまうから、ボールを手にしていない指示した側は問われない。だから私は、頼んだことが何もなされずそのままの状態に心がざわめき、「分かったって言ったやろ」と語気を強めたのだ。
その事実は、指示通りの行動とならなかった時に指示した側が問われないという偏りと、ボールを持っている方が責任を負うという前提の不確かさを知らせている。
わかった?