2023年5月1日
橘 出 (教区駐在教導)
第121話 拝啓 親鸞さま
拝啓 親鸞さま
今、新しい春を迎え、あなたのご誕生と浄土真宗を開いてくださったことを慶び讃える法要が行われています。そのこともあり、最近あらためて私が生まれてきたこととこうして生きている中心について考えるようになりました。
私が親鸞さまにお会いしてから何年になるのでしょうか。初めて親鸞さまにお会いしたのは、21歳のときでした。それ以来あなたの言葉がずっと気になり、その言葉にふれない日はありませんでした。
幼い頃に祖父から「きみょ~むりょ~じゅにょ~らい」の正信偈と阿弥陀経を読めるように教えられましたが、ちっとも意味はわからないままでした。
親鸞さま、あなたに会うまでの私は、自分の夢に向かって進むのが人生であり、希望がかなえば幸せで、かなわなければ不幸せ。だから努力し続けなければいけないと思っていました。
けれども、現実はそんなに甘くありません。親ともめて希望の進路をあきらめたり、友人関係がまずくなり孤独にさいなまれたり、恋に破れて立ち直れないほど落ち込んだり、苦しみや悲しみはいつもやってきました。そして、世界の紛争や差別はなくならず、その矛盾に満ちた現実に絶望したことは幾度もありました。
けれども、あるとき親鸞さまに出会った先生から教えられました。「あなたがあなたに生まれて、本当によかったといえる人生を歩めるのです」という言葉です。それは、努力して必ず成功をつかみ取れという意味ではありません。たとえどんなことが起きても、あなたを支えてくれる大地のあることをわすれてはいけませんということなのでしょう。そのつらさやむなしさには意味があるのだ、だから大丈夫、生きていけるんだということです。
今、あらためて思います。人は生まれてきた限り使命があり、果たすべき仕事があるのだと。親鸞さま、それを抱え温めながら、私はこれからも生きていきます。
合掌