2023年4月14日
三島 清圓 (西念寺前住職)
第118話 人生の時間
あるお寺の座敷にカレンダーがふたつかけてあった。ひとつには「人生の価値は努力して才能を磨き、ついには大輪の花を咲かせることにある」という女流作家の言葉が印刷してある。(ナルホド、それもいいだろう)と思いつつ(しかし、その大輪の花を咲かせることができなかった人の人生は無価値なのだろうか)という疑問もわいてくる。隣のカレンダーに目を移すと今度は東井義雄という僧侶の「どうして人は(当たり前)を驚かないのか」という言葉が印刷されている。二人の人生観はまったく違うのだ。そんなことを考えながら表に出ると山門の掲示板が目に止まった。
人生80年
睡眠27年
食事10年
トイレ5年
自由な時間38年のみ
と書いてある。しかし通勤をふくめた勤務時間や子供の送り迎えや洗濯や買い物やらが抜けている。シャワーで身体を洗っている時間などは「トイレ5年」をはるかにこえているはずだ。もしこれらの時間を「自由な時間38年」から差し引けば残る時間は驚くほどわずかだろう。しかも70歳をこえたわたしは80まで生きるとして計算すると・・もう止めよう、計算しなくても残された自由時間は微々たるものである。しかし「わたしは今、生きている」。この言葉は結婚式を前にして不治の癌告知を受けた長島千恵さんの言葉である。亡くなる直前にかかってきた携帯の「今、何してる?」という友人の問いかけに彼女は「今・・今、生きている」と答えている。生きる時間を当たり前にしている私たちに、その言葉は驚かされる。東井さんがいいたかったことはきっとそのことだろう。
合掌