2023年3月10日
旭野 康裕 (永養寺住職)
第113話 コロナ禍…出会いと語らいの大切さ~親鸞、『いなかのひとびと』との出会い
コロナ禍も4年目を迎えました。人との出会いや語らいの場が制限されて、他の意見を聞き議論して自分の考えを確かめまとめることも難しくなりました。真偽不明なネット情報や噂に依存しがちになり、自分の意見が独りよがりで自己中心的なものになっていませんか。
親鸞聖人は誰もが平等に救われる仏教を求め、20年に及ぶ比叡山での修学を棄て、法然上人が語られる念仏の教えを必死に学ばれました。6年後念仏弾圧の法難に遭い、越後に流罪となり、そこで意味深い出会いがありました。『海』と『いなかのひとびと』です。京都に生まれ育った親鸞にとって、眼前の広大無辺な海にさぞ深い感銘を受けたことでしょう。そして都の雅びや華やかさから遠く離れた大地に立ち、泥にまみれ汗して暮らす民の姿に、親鸞は驚きと清々しい感動を覚えたに違いありません。朝廷や武士らの権力に翻弄され、戦乱、飢饉、疫病や天変地異等による絶望的状況をオロオロ生きる都人と違い、粗野でもしたたかに、逞しく雑草の如くに生きている『いなかのひとびと』が、実は都の繁栄や優雅さを地方で支えていたのです。
流罪が許されても親鸞は都へは戻らず、更に遠い坂東の地で積極的に布教をします。庶民と共に暮らす布教生活は、親鸞が教えを一方的に説くというより、民と語らう中で逆に気付かされる毎日だったような気がします。末法五濁の世を弱い立場で生きる庶民にとって、念仏の教えこそが、絶望から立ち上がる勇気となり、悪世を生き抜く原動力たりうる信心を磨き合われたのでしょう。『いなかのひとびと』と同じ目線で暮らした20年、念仏が生きてはたらく現場を確認できた歓びは、揺るぎない確信へ変わり、本願まことの歴史に出会い得た一人として後に生まてくる人へ伝える使命となって、齢60歳を超えて京都へ旅立つ覚悟となったのかもしれません。坂東の門徒は、敬愛の念を込め『御同朋よ』と呼びかけた親鸞を懐かしみ、京都での四半世紀の宗祖の著作生活を支えたのです。
コロナ禍で希薄になる人間関係の危うさを感じる世相で、あらためて出会いと語らいの大切さを思うコロナ禍4年目の春です。