飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2023年1月13日

岩崎 正親 (正覺寺住職)

第105話 お内仏を通じて

 私はお寺の住職を勤めさせていただく傍ら、とある仏壇店で塗師の職人として働かせていただいています。

 この業界にお世話になる前の私にとってのお内仏というものは、ただそこにあるだけの物、昔からその家にあるのだから当たり前のようにある物。少し乱暴な表現になりますが、お内仏がなければ法事ができないからどうしても置かなければならない物、私の想いの中には少なからずともそのような感覚がありました。 

 お内仏がその家々にとってとても大切なもの。それは住職の立場からして重々承知はしているつもりなのですが、そこに「どうして?」「なぜ必要なの?」と問われると中々どうして、上辺だけの言葉しか出てこない自分が常におりました。

 しかしながら塗師職人として従事させてもらいそれなりの年月が経ち、色々なお客様と出会い、多種多様なお内仏に関わらせてもらい、その家々の歴史に触れる事により今まで気にもしていなかった事、特にその家の方々のお内仏に対する想いなどに改めて気付かされることがあります。

 工房での作業は勿論のこと、新しくお内仏を購入された方、またお洗濯で預からせていただいた方のお家に納品、配達という業務もあるのですが、その時に「これでウチもまた綺麗なシャンとしたとこで阿弥陀さんを迎えられる」というお言葉をいただく事があります。なんとも有難いお言葉です。職人冥利に尽きる一言でございます。そして何よりその言葉には、阿弥陀如来との関係性がその方としっかりと築かれていることのあらわれである事が嬉しく思います。

 店頭に置かれているものはただの「物壇」。そこに本尊が掛けられて初めて「仏壇」。そしてその前で合掌し称名念仏して如来との関係を持ってようやく「お内仏」になる、と聞いた事があります。我々は色々な関係性により生かされておりますが、改めて1番大切な事を再確認したことでございました。

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