2020年12月15日
北條秀樹 (高山1組了泉寺住職)
第10話 どこを見る?
この「ひだ御坊一口法話」の開始のご挨拶を投稿したのは8月のこと、
私としては今回で2度目の寄稿になります。
気づけば、(この記事が投稿される今は)あっという間に12月下旬。
この一口法話をお読みの皆さま、この1年、どんなことがありましたか?何をされましたでしょう?
私は、この1年は、いつもに増してあっという間に過ぎ去った気がします。
世界を見てみれば、今年は、世界中が変わり、様々なものが噴出して来た1年でした。
1年前の今、専門の医療関係者や研究者の方を除いて、私たちの多くはまだ、コロナウィルスという存在を知りませんでした。
私たちがこの名前を知ったのは、2020年の1月。
そこで否応なく、全世界の人がこの苦しみを知ることになりました。
そして、様々な矛盾、様々な分断、様々な病気以外の問題も、じわじわとあぶり出されてきた年でした。
「新しい生活様式」とも言われます。2020年は、私たちの生活そのものを、私たちの思いに関係なく、否応なく変えることになる年でした。
年が明けての2021年は、どんな年になるでしょう?私たち皆が苦しんでいるコロナウィスルは収束するでしょうか?
ずたずたになった経済は回復するでしょうか?病気と共に焙り出されてきた様々な問題は解決するでしょうか?
先の事は誰にもわかりません。わからないから不安になる、皆そうでしょう。
私たちは誰もが、過去のことには不安にはなりません。私たちが心配し、不安になるのは、常にこの先将来の事です。
過去の事柄から未来を予想して、そこに不安になるのです。
もちろん、将来を考えることは大切でしょう、「心」を「配する」と書いて心配。心配には、将来を気にかけて準備する・面倒を見るという意味もあります。
ただ、漠然と先だけを見ていると、その心配が不安に変わる。
不安は煩悩と同じ、どこまでも、どこまでも新たに湧き続けてくるものです。
約550年前、室町時代を生きられた本願寺八代目の蓮如上人は、こう言われています。
「行くさきむかいばかりみて、足もとをみねば、踏みかぶるべきなり」 (歩いて行く先の方ばかりを見て、自分の足元を見ないでいると、踏み外してしまう) (蓮如上人御一代記聞書 真宗聖典 P889)
間もなく2021年になります。新しい1年、不安の多い今だからこそ、まずはしっかり「今の」自分、自分の立ち位置、足もとを確かめていきたいと思うのです。